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あえて遅く走ることの意味について

雑記

さいきん、すごく好きな漫画があります。それは月刊マガジンで連載中の「サマーソルトターン」という漫画です。


サマー・ソルト・ターン(1) (講談社コミックス月刊マガジン)

サマー・ソルト・ターン(1) (講談社コミックス月刊マガジン)

サマー・ソルト・ターン(2) (講談社コミックス月刊マガジン)

サマー・ソルト・ターン(2) (講談社コミックス月刊マガジン)

サマー・ソルト・ターン(3) (講談社コミックス月刊マガジン)

サマー・ソルト・ターン(3) (講談社コミックス月刊マガジン)


主人公水野泳一郎は小学生のころは神童とまで呼ばれたスイマーですが、フィジカルな成長が止まってしまったために高校に入っても小5で出した自己ベストを抜けないまま。もう水泳なんて止めようと思っていた彼の前に、さまざまな人たちが集まってきて彼はまた泳ぎ始めるというお話です。


めちゃくちゃおもしろいので未読の人はぜひ読んでほしいのですが*1、今月号を読んでいたら速く泳ぐための理想のフォームについて語るシーンがありました。


サマーソルトターンでは「理想のフォーム、泳ぎ方とは」というトピックがわりと出てきます。
たとえば、第一話で鮎川ルカが「イルカの体にはイルカが普段泳いでいるスピードを出すために必要な筋肉の7分の1しかない」という話をして、人間が泳ぐための理想のフォームはまだ見つかっていないんだという話をするシーンがあります。つまりフィジカルで劣っていても理想のフォームを身につければもっと速く泳げるようになるということを言いたいわけなんです。


理想の泳ぎ方。すごく概念的でつかみどころがない言葉ですが、その必要性というかその言葉が意図するところは何となく察することはできます。



今月号のとあるシーンで説明されていた理想の泳ぎ方というのは「水の声が聞こえる」と表現されていて、それを具体的に言うと限りなく水の抵抗が0に近い状態を指していると説明していました。そしてその感覚をつかむために練習では「遅く泳ぐこと」を意識していて、遅く泳ぐ理由としては「速さは力みを生み、力みは抵抗を生む。そうすると速く泳ごうとすること自体が逆に理想のフォームを遠ざけてしまうこともある」とあってすごくピンときたのです。


ランニングをしていていつも思うのは「速く走りたいからといって速く走ってばかりでいいのか?」ということです。

わたしは速く、そして長く走れるようになるために「速いスピードで長い時間走る練習」を重点的にやってきました。普段の練習ではキロ5分を超えたスピードで走ることはほとんどありませんし、そのスピードで10km-40kmくらいを走ることでいままで速く、強くなってきました。

逆にあえて遅いスピードで走ることはスタミナを養うわけでもないしスピードが培われるわけでもないから意味がないと一蹴して避けていました。もちろんLSDと呼ばれる練習が長距離を走る脚を作るというのは知っていますが、でも同じ時間を走るのであれば速いスピードで同じくらいの時間走ればいいわけで、あえて遅いスピードで走る必要性をあまり理解できていませんでした。


ただ、こうやって速く長く走る練習を積み重ねていけばいくほど「本当にそれでいいのか?」と思う気持ちもわいてきました。
もしかしたらあえて遅く走ることにも意味はあるんじゃないのかと。


スイマーと同じく、ランナーにとってもフォームというのは非常に大きな課題であって、よりよいフォーム、つまりランニングエコノミーのよいフォームを身に着けることはすべてのランナーにとっての憧れでもあります。ではどうやってそんなフォームを身に着けたらいいのか?というと結局自分で走りながらそれを見つけていくしかないと思っています。

人それぞれ体格も骨格も違うわけですから、理想のフォームだって違っていて然りです。
となると、実際に走ってみてそのときの間隔からもっとも適したフォームを見つけていくしかないわけで、そういうときにはスピードを出さずにあえて遅く走ることが大事なのかなと思い至ったわけです。


ちょうどよくというか、いまは怪我をしていてなかなか速くは走れないのでこの機会を生かして理想のフォームを見つける努力をしようと思います。

*1:とりあえずここから第一話が試し読みできます