たしか大学生のときだと思うのですが、「死の受容に関する5段階のプロセス」について書かれた本を読んだことがあります。
- 作者: エリザベスキューブラー・ロス,Elisabeth K¨ubler‐Ross,鈴木晶
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2001/01/01
- メディア: 文庫
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思い返して調べてみたらキューブラー・ロスによる5段階モデルと呼ばれているそうなのですが、これは自分がそう遠くない将来死ぬことが明らかになったときにその死を受け入れる段階的なプロセスをモデル化したものだそうです。
- 第1段階: 否認
- 第2段階: 怒り
- 第3段階: 取引
- 第4段階: 抑うつ
- 第5段階: 受容
最初はその事実が信じられなくて拒絶し、そのうち何で自分だけが..と憤ったあとは何か代わりのものを差し出すから何とかならないかと考え、そして無力感にさいなまれ抑うつ状態になってそれを乗り越えたらその事実を受け入れるということだと理解しています。もし自分があと数日で死ぬと言われたとしたらとどう思うだろうかと考えてみたときに、このプロセスはすごく腑に落ちる内容ですしたしかに自分もこの5段階で受け入れていくんだろうなと思います。
なんで急にこんなことを書いているのとか言うと、先月4月28日に走れなくなってから今日にいたるまでに自分が怪我をした事実をどう受け止めてきたのかということについて振り返ってみたときにその心境が変化する様子がこの5段階モデルとすごく似ているなと思ったからです。
怪我をしたことを認めたくなくて否認し、何で痛みが無かったのに急に怪我をしたんだと怒り、大会に出るのを我慢するから早く治ってほしいと取り引きを持ち掛けて、それでもよくならないから抑うつ状態になって、最後は怪我が治るまで待とうと事実を受容するという流れで自分自身の心境は変わってきました。いまは怪我をしてなかなか完治しないという事実を受け入れて、よくなるまで待とうという気持ちになっています。
とは言え、今回くらいの怪我であればそれが長引いたとしてもいつか治るわけですから死ぬのとはぜんぜん違うのでまったく同じではないし、いくら似ていたと思ったとしても並べて語るのは無理があるなと書いていて思わず笑ってしまいました(笑)
ちなみに怪我はまだよくなっていませんが、日常生活を送る分にはまったく問題なくなりました。
長い時間歩いているとふくらはぎからアキレス腱にかけて違和感が出てくるのですが、でも軽くなら走れるくらいには回復しています。あと少しの辛抱ですかね。
さて。話はちょっと変わって、今日のお昼にマラソン大会の検索をしていたのですが9月に郡山で大会があるのを見つけました。
そういえば、以前にも一度だけ開成山公園でリレーマラソン的なものを開催していたなと思い出したのですが、大会名に第1回とあるのでそれとは別の大会のようです。
どういうコースがあるのか見てみたらフルとハーフのリレーと10km、あとはウォーキングという緩い感じの大会のようでした。
いつものわたしであればさほど興味を引く大会ではないのでスルーしていたと思うのですが、先日郡山シティマラソンを棄権して走れなかったばかりのわたしにはちょっと気になりました。開成山公園のあたりを走りたい...。
日程は9/9(日)だそうですが、前日9/8(土)に白河で10kmを走る予定はあるものの日曜日は他に出たい大会のある日ではないので問題なく出られそうです。
先日郡山シティを棄権したときは「次に郡山を走るのは来年になるかなー」と思っていましたが思わぬところでリベンジのチャンスがめぐってきました。ただ郡山に行く口実が欲しいだけのような気がしますが、ちょっと前向きに検討してみようと思います。
走るとしたら10kmかなと思っていましたが、周回1kmのコースらしいのでそれだと10周か...。飽きそう。